もともと、子供の頃から侍が好きで、チャンバラをして遊んでいました。小学生の高学年では、おもちゃの刀を差して、登校していたほどです。道灌祭りの甲冑隊の姿を見て、感動を覚えましたが、現職の時には、教室に通うことも出来ず。退職 3 年後、甲冑教室に通い二ヶ月後、癌で三ヶ月入院、その後も入退院のくり返しで、甲冑を完成させることが出来ず、翌年再び甲冑教室に通い、 2 年がかりで完成しました。この間、指導者の方々には大変お世話になりました。これまで、草津・日暮里・横浜港・・・等、数多く出陣させていただき感謝しています。お家では、静かなおとなしい人間で、家族間の憂さ晴らしができませんが、寸劇の侍を演じるときには、家での憂さ晴らしが出来るほど、元気に演じることが出来、幸せ感を味わうことが出来ます。これからも、「伊勢原市のサポーター」として、全力で協力していきます。
17【 芦原 評定衆 】13
